人から言われる負の言葉には全く価値はない

言葉を聞き流せないのはなぜですか?

子供の時に誰でも大人から、人の話をよく聞きなさいとか、”ことだま”とか、言われてきました。

確かにそうかもしれませんが、自分にとっていい言葉なのか、よくない言葉なのか本当によくわからないにもかかわらず、その言葉を聞き流すことができず、その言葉をまともであると思い、自分に投げかけられた言葉に苦しんでいることが多いのではないでしょうか。

真面目誠実で、言葉を大切に考える知的な人が、自分に投げかけられた言葉に心が傷つき思い悩んでいるのではないでしょうか。

その言葉の発信者がまともであるという前提があるのかもしれません。日常ビジネスや、学校生活、スポーツ指導現場で、指導だから、先輩だから、上司だからといった立場をあまりにもリスペクトしすぎてその人からのすべての言葉を素直に聞いてしまっているのかもしれません。本当に聞く必要などあるのでしょうか。

いい人と思える人も凶変する。

DVな人は、自分の不完全さや自分の心が満たされていないところを癒そうとして暴言に及びます。身近な人を自分の思うようにコントロールしようとしています。

また、学校生活での”いじめ”や、スポーツ指導の現場での”言葉の暴力”など、普段は立派に見える人が、突然凶変し、被害者を苦しめる言葉を投げかけたりします。

そのまともでない状態の人がいう言葉に、なんの価値もありません、その発している人の言葉をリスペクトする必要は全くないのです。

良く考えてみると、まともでないと思っている人の言葉は、自分に何の影響もしません。影響されるのはその言葉の発信者が尊敬出来て、信頼している人からの言葉だけです。しかしそのような信頼している人の言葉すべてを尊重する必要もないはずです。

このような症状ありませんか

あの時、あの人から言われた言葉がいつまでも頭から離れない、大した意味が全くないのに、言葉を聞き流すことができなくて、苦しんでいる。

このような体験から、人はめんどくさいと思い人間関係で悩み、言葉に悩み、社会やスポーツ環境、学校などで本来の自分がなくなってしまっています。

上司や、友達、同僚の何気ない言葉が頭をよぎる。

文字や文章をみてへこんでしまい思い悩んでいる。

外見に関して言われたネガティブな言葉を気にしてしまう。

そのようなまじめな人がよく悩んでいます。

もう言葉に傷つきたくない

言葉の返し方とか、自分に対してネガティブな言葉をかける人にどのように対処したらよいかなどの著書があります。しかし、なかなか解決しません。

コミュニケーションスクールに行っても解決しないかもしれません。

言葉の価値をあまりにも大切に考えてしまったせいで、自分にとっての言葉の価値ががあまりにも高くなりすぎているかもしれません。

言葉にな何の意味もなく、言語を使った音であるにも関わらず、言葉の価値を重要視しすぎて、無意識に振り回されているだけなのです。

スポーツの現場で、特に選手は言葉をやり過ごす技術を習得しなければいけません。

なぜなら、指導者も人です。人は意識がないと変わりません。「僕にひどい事言わないで」とお願いしても無意味です。自分の言葉に対する意識を変えるしかありません。

言葉をやりすごせたらいいのです。人の意見を自分なりにかみ砕き自分に合うように加工するのです。言葉を自分に合うように編集し、必要でない言葉はブロックして通さないようにしなければいけません。

自分で必要な言葉、必要でない言葉、そのふるい分けして、削除するのです。

人は社会的とのかかわりが必要です。

毎日学校、会社、スポーツクラブ、家庭など社会に属しています。そのなかでうまく社会的な役割の中で生きています。

その社会生活がうまくいかない時は、不安な状態であり、時にはストレスで憔悴したりもします。

最近は、指示することは良くないとされています。相手の話を聞きながら、いかに相手の力を導きだすようにすることが重要視されています。こうした状況からカウンセリング、コーチングと変化してきました。

相手の言葉にいかに傾聴するかなどされてきましたが、そこに大きな落とし穴があるのかもしれません。

自分自身も人の言葉にたくさん傷ついて来ました。言葉をまともに受けてしまいその言葉に全く意味がないにも関わらず自分で言葉の意味をマイナスに解釈してしまい何年も心を悩まされ体調も崩したことありました。

コーチングだけではなく、カウンセラーとして学ぶようになりその解決方法を学びました。

そして、もう自分は言葉に傷つきたくありません。苦しみたくありません。

そうです、すべての言葉を重要視する必要など決してないのです。